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福岡高等裁判所 昭和32年(う)1375号 判決 1957年12月10日

控訴人 被告人 井手上祥二

検察官 西田隆

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人諫山博が陳述した控訴趣意は記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用し、次のとおり判断する。

弁護人の控訴趣意第一点について。

原判決の挙示する証拠を綜合すると、被告人は昭和三二年五月二四日大場尚道の運転する原判示貨物自動車の運転台に同人の左側に席を占め、直方市から田川市に向け進行し、同日午前二時三〇分頃福岡県田川郡赤池町赤池橋附近にさしかかつた際、法令に定められた運転の資格を持たないのにいきなり大場尚道が握持していたハンドルの上に手をやつて、これから先は道がよくなつたから俺にハンドルを貸せといつて自ら運転を申出たので、大場尚道はこれを承諾し、同人はただアクセル、ブレーキ、チエンジレバーを操作するだけでハンドルを被告人に委せたこと、そこで被告人はハンドルを握持し、自らの意思に従い、これを操作しながら、時速三〇粁の速度で福岡県田川郡金田町天神町二丁目米家荒雄方前附近道路まで約二粁間右貨物自動車を走行させた事実を肯認することができる。およそ、自動車の運転とは自動車に設けられた各種装置の操作により発進、一定方向及び速度の維持若くは変更、停止など自動車の走行について必要な措置をとることを指称するのであるから、自動車の走行に際し、甲者がアクセル、ブレーキ、チエンジレバーを操作し、乙者がハンドルを握持してこれを操作した場合、その両者はそれぞれ自動車を運転したものといわなければならない。してみると、前記説示のようにハンドルを操作して操向操作の措置をとつた被告人の所為は、すなわち、自動車を運転したものに外ならないので、原判示のごとく被告人が原判示貨物自動車を運転した事実を認定しこれを原判示法令に問擬した原判決は正当である。所論援用の証拠によるも、被告人が単にハンドルを握つていただけで操向操作の措置をとつたものでなかつた事実を認めることはできないし、又大場尚道だけが本件貨物自動車を運転していたものであるとの事実も肯認できない。そうだとすると、原判決には所論のような事実誤認も、亦法律解釈適用の誤もないので、論旨は理由がない。

同控訴趣意第二点について。

しかし、さきに認定したとおり、被告人は自ら希望して夜道を約二粁もの間ハンドルを操作してともかくも貨物自動車を運転していること、並びに原審証人大場尚道の供述により明らかなとおり、被告人の操縦上の過失から貨物自動車を前記米家荒雄方家屋に衝突させたが、その直後被告人は大変なことをしたといつて現場附近の路傍上の石の上に座り頭をかかえこんでいたことに徴すると、たとえ所論の各証拠によつて被告人が当時飲酒していた事実が認められるにせよ被告人の本件犯行時の意識は相当明確であり、衝突事故についても後悔の態度を示しているのであるから、被告人が当時是非善悪の判断力を全く欠如して心神喪失の状態にあつたものはいえないのは勿論、是非善悪の判断力が著しく減退した心神耗弱の状態にあつたものとも認められない。そこで原判決には所論のごとき事実誤認はないものということができるので論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却することとし主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 生田謙二)

弁護人諫山博の控訴趣意

第一点原判決が、被告人は普通貨物自動車について「操向操作の措置をなして運転」したと認定し、これに道路交通取締法第七条第一項、同条第二項第二号、同九条第一項、同二十八条第一号を適用したのは、法令の解釈適用を誤つたか、または事実の認定を誤つたもので、右違法は原判決に影響を及ぼしているので、原判決は破棄さるべきである。事故当時本件普通貨物自動車を運転していたのは、大場尚道である。そのことは同人の公判廷における供述によつて明らかである(二七丁)。事故直前に被告人は運転席の横にいたが被告人はそのままの位置から大場の握つていたハンドルを握つたもののようである。被告人は運転席の横から、大場が操縦中のハンドルに手をふれているが、ハンドルを握つたというだけであつて、積極的にハンドルの操作を被告人自身がしたものではない。また、ハンドル以外の操縦装置には、被告人はまつたく身体をふれていない。操縦は依然として、大場が一人でやつていたのである(以上、大場尚道の公判廷における供述、二八丁)。事実関係は以上のとおりであるが、これは被告人が普通貨物自動車の「操向操作の措置」をとつたということには当らない。被告人が運転したことにもならない。したがつてまた、車馬を「操縦」(道路交通取締法第七条第一項、同条第二項第一号)したということもあり得ない。しかるに原判決は、被告人が「同車の操向操作の措置をなし」たものと認定し、これに前記法条を適用している。これは原判決の事実認定の誤りか、または法律解釈適用の誤りであつて、この違法は原判決に重大な影響を及ぼしているので、原判決は破棄さるべきである。

第二点原判決が被告人に心神耗弱を認めなかつたのは、事実認定の誤りである。原判決は判決文のなかで、被告人に心神耗弱の認められない理由を詳述しているが、それをみると、被告人が飯塚市内において飲酒していたため多少酒に酔つていた事実は認めている。しかしその酩酊度は、事物の理非善悪を弁識できない程のものでなく、また通常人の能力をいちじるしく減退している状態でもなかつたというのである。しかし大場尚道及び亀田賢の原審公判廷における供述ならびに司法警察員、検察官に対する供述調書の記載をみると、被告人は多量の酒を飲み、前後不覚といつてよいほどひどく酩酊していたことは疑いを容れない。したがつて被告人については、心神喪失とまではいかないまでも、少くとも心神耗弱は認定すべきである。もつとも、飲酒酩酊のうえの運転も、法律上は無謀操縦の一態容として禁止されている。しかし本件で問題にされているのが無免許操縦のみである以上、他の通常の刑事犯の場合と同様に、酩酊による心神耗弱の観念は容れらるべきである。これを認めなかつた原判決は、けつきよく酩酊に関する事実の認定を誤つたものというべく、この誤りは原判決に影響を及ぼしているので、原判決は破棄さるべきである。

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